影響の話
ここ最近「〇〇に影響されてるね〜」と言われることが多い。でも、嫌な気分ではない。むしろ、相手にもわかるくらい実行できていて嬉しい。
影響されてる と言われて、特に思い出すのは、大学2年生の時に行った広告代理店の社長だ。わたしがインターンシップに行き始めた時には、すでに57歳だった。口元の皺がしっかり顔に刻まれていて、くっきりな二重、声も低かった。『イケおじ』とはこういう人のことを言うのかな、と思ったりした。
その人と話すのが、毎日楽しみだった。仕事の甘さを指摘され、社会人になる恐怖を植えつけた人でもある。でも、なにを言われてもスッと心に入り、帰路で思い返しては「明日はどういう行動をすればいいかな」と、労働を舐めきった小娘に考えるヒントを与えてくれた。そんな人だった。
その人から手紙と、お花と、身なりの大事さを教えてもらった。
"もうひと言。手紙をうまく活用しなさい"
"特別な時に贈るお花の尊さ"
"なるべくセンスの良いものを身につけなさい"
ある時には、社長と社長夫人とわたしで、白金の上品な中華飯店で、この話を議論した。その時はジュエリーの話だったな。
もう説明も曖昧になるくらい、心に染み付いて生き方のひとつになっている。おかげさまで、なるべく贈り物をする時は手紙を添えたいし、花束を貰うと涙が出る体になり、手に入れられる範囲でカッコいいなと思うものを身につけるようにしている。しっかり影響をされている。
知らず知らずのうちに影響されていることが多い毎日だけど、たまには「〇〇に影響された」と自覚して、あれは良い影響受けたなーと、懐かしみたい。