マグカップで作ったパフェ

「考え事」や「思ったこと」って、ポッと出てくる時もあるけど、ジワ〜ッとブワ〜ッと出てくるほうが、わたしは多いみたい。感情に支配されてる毎日だけど、楽しくゆるく、まだまだ驚きたい。そう過ごしたいのだ。

魂を削って労働する

「魂を削って、命を差し出して、仕事をする」という言葉を久しぶりに聞いて、長く考えたことがあった。

結論から言うと、私は「魂はそう簡単に見せないけど、命は差し出す。ただし『仕事に』ではない。」

そうすると、仕事を一生懸命やってないのか?と怒られそうだ。でも私の場合は、仕事は人生の引き立て役であって、主役にする必要はないので、仮面を被り、ただ粛々と進めていきたい。

また、魂=内面の自分のようで、それを安易に仕事という場面で曝け出してしまうのは、品がない。

でも、私だってこうしたい、ああしたい、こだわりが出てくる。いかに仕事で仕事っぽく出さないか、突き詰めていきたい。

 

この文章は、かなり時間がかかって書いているから、上記の気持ちと多少考えは違ってきてしまうかもしれないが、魂を削りすぎると、涙が出る。本当は血なのかもしれない。疲弊・落胆・下向きになる。

たかが人生の引き立て役の「仕事」で、そんな気持ちになると余計に仕事が好きではなくなる。辞めたくなる。

みんなはどうしているのかな。

昨日の内容を今日話す打ち合わせ

文章を書くのが好きで、たまにこうやって日記やジャーナリングを書いて、心満たしている。長く書くことは苦じゃなくて、今でも文章の仕事は憧れる。

毎回同じようなことを書いてしまうから、仕事で思ったことを書く。

 

昨日のことを思い出して、打ち合わせで話したりすることが難しい。

その前は違う作業をしているとなお難しい。この歳でまだそれか〜と思ってしまう。

でも、言い訳をすると、私がなりたい仕事の立場はそんな感じではない。仕事の話をせず、仕事をする立場になりたい。(どんな立場やねん)ピンクにするか、水色にするか、というかピンクだとふわふわ可愛らしいイメージになりますよね、この前のアイスもふわふわだったんですけど、あ、アイスでふわふわって珍しくないですか?実はこれ、セブンで売っていて…みたいなことしか話さないような人。(どんな人やねん)

司会をやりたいくせに、準備できてないと途端に話せなくなるの、やめたい。

 

仕事、楽しい〜!って思えたら、いいのにな。

 

面白い、楽しいが長く続く仕事だといいのにな。苦しい、キツい、やりたくないって思うことが多すぎる。ここ何十年、そう思っている気がする。

今年はさ、そういうストレスケアを地道に少しずつやっていきたいね。そうなると、私が好きなことは”文章を書くこと”。

趣味の範囲で、ゲーム日記とか、書いていきたい。続けたい。

渋谷と原宿

もう何十年、渋谷と原宿の間を歩いているけど、「もう行かなくてもいいや」と思ったことがない。

人生で最も感受性が豊かであっただろう20代に、この地で遊んだり、職場だったりして、知らずのうちに土地勘も養われて、落ち着く場所になっている、という理由もあると思う。

 

駅前は毎回、うんざりするくらいの人で溢れているのに、それを忘れて、何度も何度も、学生の時に歩いた道をなぞる。自分でも不思議だ。

 

多分、この行為は自分のアップデートを兼ねていて、歩くことで新しいお店の把握と数年前の思い出を甦らし、自分の中の渋谷原宿の存続をはかっている。今だに憧れてるだけなのかもしれないが。現実的に渋谷のド真ん中に住むのは、まだまだ遠い未来だ。なんなら実現しない可能性もある。住みたいと思ったことは、ある。

 

そう考えると、渋谷原宿は私にとって夢のような場所で、非現実に近い場所ってことなのだろうか。え、待てよ、何十年もそう思ってるってこと!?わからない。しかし、呼ばれても呼ばれなくても、今日も今日とて渋谷に出向く。わからない。

 

すいも甘いも色々あった時期を、ここで過ごしたことを「もういいや」と忘れたくなくて、歩いてる、ということに、今回は納める。

え、なかなか拗らせてるな…?

影響の話

ここ最近「〇〇に影響されてるね〜」と言われることが多い。でも、嫌な気分ではない。むしろ、相手にもわかるくらい実行できていて嬉しい。

影響されてる と言われて、特に思い出すのは、大学2年生の時に行った広告代理店の社長だ。わたしがインターンシップに行き始めた時には、すでに57歳だった。口元の皺がしっかり顔に刻まれていて、くっきりな二重、声も低かった。『イケおじ』とはこういう人のことを言うのかな、と思ったりした。

その人と話すのが、毎日楽しみだった。仕事の甘さを指摘され、社会人になる恐怖を植えつけた人でもある。でも、なにを言われてもスッと心に入り、帰路で思い返しては「明日はどういう行動をすればいいかな」と、労働を舐めきった小娘に考えるヒントを与えてくれた。そんな人だった。

その人から手紙と、お花と、身なりの大事さを教えてもらった。

 

"もうひと言。手紙をうまく活用しなさい"

"特別な時に贈るお花の尊さ"

"なるべくセンスの良いものを身につけなさい"

 

ある時には、社長と社長夫人とわたしで、白金の上品な中華飯店で、この話を議論した。その時はジュエリーの話だったな。

もう説明も曖昧になるくらい、心に染み付いて生き方のひとつになっている。おかげさまで、なるべく贈り物をする時は手紙を添えたいし、花束を貰うと涙が出る体になり、手に入れられる範囲でカッコいいなと思うものを身につけるようにしている。しっかり影響をされている。

 

知らず知らずのうちに影響されていることが多い毎日だけど、たまには「〇〇に影響された」と自覚して、あれは良い影響受けたなーと、懐かしみたい。